書籍情報|ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」のあらすじ(KIROKU内)
日本人である作者とアイルランド人の配偶者の息子は、イギリス、ブライトンで中学生になった。そして、白人労働者階級の子どもたちが通う「元底辺中学校」に通いはじめる。差別主義も残るブライトンの中学校で、作者の息子は同級生たちと…
※ このあらすじは、当サイトに投稿された感想/書評の一つです。
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「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」のキーワード
多様性格差
ドラマ(演劇)
エンパシー
緊縮財政
市民的ナショナリズム
ポリティカル・コレクトネス
フォスター・ファミリー
ストリート・チルドレン
感想/書評|多様性がもたらす影響と日本における多様性
イギリスのブライトンで暮らす日本人の作者が、自身の息子(ハーフ・アンド・ハーフ)の中学生活を描いた作品。
作者と息子の日常が描かれており、イギリスでの生活のリアルを知ることができる。
多様なバックグラウンドを有する人々は、ブライトンという同じ地で、お互いのことをどのように考え、どのような生活を送っているのか。
作品のタイトルからも読み取れるように、多様性が日常生活に与える影響を、中学生の息子の日常を通じて描き出している。
なんというか、比較的多様性に乏しいと考えられる日本で送ってきた日常生活との違いに終始驚かされた。
そして、日本という国の住みやすさを再認識するとともに、日本で生まれて日本で育つ日本人の将来に不安を覚えた。
まさに作者が息子に言うように「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだ」と感じた。
「日本は多様性が乏しい。」と言い切ってしまうと、日本で暮らす「少数派」への配慮が欠けると言われるかもしれない。
しかし、本作品を読むと、やはり日本は比較的多様性が乏しいと感じざるを得ない。
本作品の中では複数回にわたって「ポリティカル・コレクトネス」というワードが登場する。
ポリティカル・コレクトネスとは、「特定の言葉や所作に差別的な意味や誤解が含まれないように、政治的に(politically)適切な(correct)用語や政策を推奨する態度のこと」らしい(参照:アートスケープ/artscape)。
本作品を読むと、ブライトンでの生活の中で作者がポリティカル・コレクトネス的配慮に気を配っているのが分かる。
日本では、こういった配慮をしなければならない場面に遭遇することは多くはない。
そのことからも、日本は比較的多様性が乏しいと感じざるを得なかった。
多様性に富んだブライトンでは、子どもたちも、しばしば衝突し、そして無知を克服していく。無知を克服し、エンパシーを発揮して自分と異なるバックグラウンドをもつ他人と共に生きていく術を身につけていく。
世界は元来多様性に富んでいる。科学技術の発展は、その世界をマクロ的に均質化することで、ミクロ的に多様化している。
日本で生まれて日本で育つ日本人は、この流れを無事に乗り越えることができるのだろうか。
Twitterによれば、2021年1月から6月までの法的な削除要請の4割強を日本が占め、最多だったらしい(参照:日本経済新聞「Twitter投稿削除要請、日本が最多 21年1~6月」)。
そもそも日本はアメリカに次ぐ世界2位の市場でもあり、このことだけから何かを断定的に言うことはできない。
しかし、本作品を読み、この事実が比較的多様性の乏しい日本におけるエンパシーの欠如の現れのように感じてしまった。